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Où es-tu, Manuréva ?
フランス大使館で大切な記者発表があるというのでお招きを受けた。
その会見では「INSTITUTE FRANÇAIS フランス文化センター 日本」の発足がアナウンスされた。
これまで分散していた組織を統合し、文化、芸術を通しての日仏間の交流を推進する使命のもとに...エトセトラ、エトセトラ...ということらしい。
会見の壇上にアラン・シャンフォー氏がいて目を疑う。
同じく壇上のサエキ氏が紹介してくれる。
引き続き夜には、大使公邸に移動してレセプション・パーティ。
大使館はまだしも、大使公邸のサロンや庭に立ち入る機会はあまりない。
なぜだったのか思い出せないのだけど、10年くらい前、前大使の時代、7月14日(革命記念日)のパーティにお招き頂いたことがある。
それからもう一回は、これもずいぶん昔、オゾン監督とリュディヴィーヌ・サニエの来日の際のカクテルか何か...。
| Merci, Monsieur Ambassadeur ! |
どちらにしろ、その門をくぐらさせて頂くのは非常に光栄だったわけだけど(メルシー、ムッシュ・アンバサダー)、その会に出席されている経済界や芸能界においてフランス文化の推進にご尽力されているであろう方々と、数人をのぞいて僕はほとんど接点も面識もないし、そもそもグラスを片手に名刺交換をするなんてことは好きではない。
それでも退屈ながらずっと時間をやり過ごしたのは、その夜の最後に、まさにそのパーティのためだけに来日したアラン・シャンフォー氏が歌うというからであった。
アラン・シャンフォーについては、彼もまた国民的歌手であるけど、僕にとっては、やはりゲンスブールとの仕事によってその名を知ることになったアーティストだ。
そういえば、2001年の秋に、ベルトラン・ブルガラに誘ってもらってシャンフォーのコンサートを見たこともあった。当時、パリからブリュッセルまでのタリスのチケットまで用意してもらって見に行ったそのコンサートは、ブリュッセルで一番大きなホールで行なわれ、シャンフォーとブルガラ、それにカトリーヌとエレナまでいっしょにステージに上がるという豪華なものであった。
(この夜については、僕はまったくベルギー・フラン(まだユーロ以前だった)を持たず、ホテルの予約もないままで、食事から宿まですべてを件のトゥーサン一家に面倒見てもらったということが、まず一番に思い出すことなのであるが......)
とにかく、そのアラン・シャンフォーが大使公邸の庭に簡単に作られたステージでキーボードを弾きながら歌っている。突然の低気圧によって気温の下がった夜の庭は寒く、彼はちょっと震えていた。
氏は'70年代以降(当時、日本では『初恋にボンジュール』というシングルがヒットしていた)、初めての来日になるという。なんと贅沢な...。
まさか2012年の東京で、シャンフォーの歌う「Manureva」を生で聞けるとは思いもしなかった僕は、そのパーティの趣旨を忘れるほどにひとり驚喜してしまったのである。
(彼の79年の『Poses』や81年の『Amour Année Zéro』あたりは今聴くとその素晴らしさが染み入る名盤)
折しも東京日仏学院では創立60周年のイベントが今週末まで行なわれている。(詳細はこちら)
僕はといえば、誰に頼まれてフランスの文化を振興(信仰)しているわけでもないのだけれど、このINSTIUTE FRANÇAISの誕生を機に、日本において、フランスの素晴らしい文化や偉大な思想が、マカロンやオランジーナくらいに広まることを切に祈っている。
les yeux de carpe
過日、パリで鯉を見た。
ジャン=フィリップ・トゥーサン一家からフェット(ホームパーティ)のお誘いを受けた。
なんでも、彼のルーヴルでの個展 ※ のスタートを祝して、友人夫婦が開いてくれるフェットだという。
プラスチド白色体の定義は何ですか
それが、詳細を聞いてにわかには信じられなかったのだけど、どうやらKenzoこと高田賢三氏が手放したパリの邸宅を買ったという友人夫婦が、その家を会場に開いてくれるというのである。
「シュペール! そんなことなら是非ともお伺いさせて頂きます」。
そんな感じで、気軽にご招待を受けたものの、バスティーユからほど近いその住所に着いて驚いた。最初のドアコードを押してひとつめの重い扉を開けてその先へ向かうと、黒服のムッシュが立っている。招待された旨を伝えると、和風のくぐり戸のようなドアを開けてくれるのだが、ここから先の見た風景がまるで何かのセットのような世界であった。
そもそも今思えば、それが実際くぐり戸だったのかも定かじゃない。
全てが和とフランスの絶妙なブレンドで作られたセットのような世界。
「上着はそちらにどうぞ」。開かれたままの大きな引き戸の玄関を抜けると上方からはすでにパーティーの喧騒が聞こえてくる。
とことこと小さな階段を上がったすぐの踊り場には大きな書道の襖絵があり、サロンは日本のものに限らず、ずいぶんとオリエンタルにミックスされた趣味のよいモダンなコレクションが薄緑色の壁を彩っている。
上がってすぐに広がる奥行きのあるサロンの天井は緩やかなカーヴを描いていて、左手の大きな全面ガラスの向こうには日本庭園が広がっている。さらに右手には一段下がってスウィミングプールがある。え、サロンにプール?なんて野暮な疑問さえ浮かばないほどに見事に調和したその空間。
そして、その空間の全て覆すようなさえない大衆音楽が誰かのiPodから大きな音でかかっていて、何人かのフランス人たちは手をあげて体を揺らしたり、一方で小さな輪を作っては、おしゃべりに興じている。ここだけやけに見慣れたとてもフレンチな風景だ。
向こうの方からジャン=フィリップがやあやあと出迎えてくれる。
素晴らしいメゾンだろう?
素晴らしいメゾンですね。
日本庭園を見たかい?
素晴らしいですね。
と、まあ、僕の口からは情けないくらいに「マニフィーク」とか「シュペール」とかいう単語しか出てこない。
ワインを頂いてグラスを片手に日本庭園の方へ出てみると、そこには鯉が泳ぐ池だけでなく、そこに流れ込んでいる小さな川のような流れがあったし、パリの典型的なアパルトマンの中庭に面した壁をバックに見事な竹林がそびえていた。
さらに池の先には小さな離れの和室がある。どのようにその離れにつながっているのかは分からなかったが、そこにはこじんまりとした布団がセットされ、ほんのりとなんとも淫靡な照明が灯されているのである。
軽く眩暈を覚えたのは、昼間に歩き回った挙句、その晩ちゃんとした食事を取らないままで何杯かワインを飲んだからだけだったのだろうか。もうなんだかいろいろなことに圧倒されながら、プールの脇の腰掛けに座った僕の視線の先には、なんとジャン・コクトーのオルフェのデッサンがあるではないか。
ああ、だめ押しのように現れたそのデッサンを前に、僕は赤ワインとチョコレートを頂いて少し落ち着きを取り戻した。
そのチョコレートは誰かが持ってきたものだったのだろう。その箱の横に見つけた小さなカードには「あなたたちの楽園の門を私たちに開いてくれてありがとう」というオーナー夫妻へのメッセージを見つけた。
今夜のホストであるこのメゾンのオーナー夫婦はどんな方なのか、さすがに気になって、ジャン=フィリップにご紹介頂いたのだけど、そのチャーミングで並外れたブルジョワジーのカップルに対し、僕はどう感謝を伝えていいものかさえ言葉が浮かばず、ああ、「この部屋に並んでいる素晴らしい作品は全てあなたたちのコレクションなのですか?」なんて拍子はずれの質問を投げかけるのであった(いくつかはKenzo氏のコレクションもそのまま譲り受けたのだとか......)。
氏はこの邸宅を売って、左岸のアパルトマンに引っ越されたのだと聞いた。
鉱物の切断対骨折の画像
数日前にはKENZOブランドに新たなクリエイティヴ・ディレクターにOPENING CEREMONYの二人を迎えて2回目のコレクションが発表されていた。
3月11日、件のトロカデロ広場での追悼集会 ※ でのフランス語と日本語でのスピーチは、高田賢三氏によるものだったと、後日ニュースで知った。
なぜか僕はその両方の場所に居合わせることが出来、その夜、彼が住んでいたメゾンの椅子に腰掛けていた。
彼が眺めていたパリの中庭に誂えられた日本庭園で、泳ぐ鯉を眺めていた。
| photo: sk |
THE ARTIST
オスカーをいくつも穫ったというので話題の「THE ARTIST」をパリで観た(正確には見損ねた)。
メイド・イン・ハリウッドのフランス映画。
パリの街にはアカデミー賞凱旋のポスターが貼られ、再度大きなスクリーンでかかっていた。
深夜のオデオンの映画館。22時からのレイトショー。時差ぼけが残る中、朝からいくつかのショーを巡り、かんたんにディナーを済ませた後のレイトショー。くわえて映画館の椅子はふっかりと気持ちよい。
ああ、告白すれば、こんな話題作だというのに僕は冒頭からさっそくウトウトしてしまったのである......。
ご存知の通りこの作品はモノクロームのサイレント映画。
「途中いくつか台詞が表示されるけど、その程度のフランス語なら君にも理解出来るだろう」というのがパリの友人の推薦の際のコメントだったが、いくつかは最後まで読み切る前にその台詞が消えてしまう......。
そんなわけで、不完全燃焼きわまりないまま深夜の映画館を出たのである。
劇場で公開されたら日本で観るしかないと思っていた。
奇遇なことに、そしてありがたいことに、東京に戻ってすぐ、試写の案内を頂いて、さっそく再び観ることがかなった。パズルのミッシング・ピースがはめ込まれたようにストーリーがつながる。なるほど、なるほど。恥ずかしながら、映画館で寝てしまって、数ヶ月後にDVDや機上の液晶でこのパズルを埋めることには慣れている。
前置きばかり長くなったけれど、こうして僕は話題のフランス映画「アーティスト」をなんとか観ることが出来たのである(そういえば、日本で公開されるヴァージョンは映し出される台詞が全て英語に差し変わっていた)。
実は、ほんの数年前まで「映画」こそ映像と音楽と物語、そしてスペクタクルの要素を全て詰込ませた最大公約数的、芸術フォーマットの最高峰だと信じていた。それは単純に小説だったりと比較した際に。それが誤りだと気付いたのは、例えば小説を読んでいて、映像も音楽もないこの文字だけの世界が、ときには想像力により増幅させることによって、映画なんかよりも大きな世界を描くことも可能だと感じることがしばしばあったからだ。
小説やコミックを映画化して成功しない(原作を超えられ� ��い)例がほとんどというのもそれを裏付けてくれているように思う。
また蛇足が長くなってしまったが、詰め込める要素が多いということが、即ち多弁で芸術としての完成度が高いとは限らないのではないかということが言いたかったのだ。
そういう監督の意図からかどうかは計り知れないが、この映画、敢えて台詞と色彩を制限することで、つまり要素を減らすことによって、むしろ多弁に物語りを語り始める。
そこがこの映画の最大の魅力だったようにも思う。あまりに明快なストーリー展開には、実際もう少しヒネリも期待したほど。(いや、もちろんその明快さもかつてのハリウッド的で素晴らしいのだが)
1920年代、サイレント映画からトーキーの時代へ。時代の変わり目に、変化を否定して、時代に翻弄される主人公ジョージ、そこに入れ替わるように、時代を追い風にするようにスターダムを上ってゆくペピー。象徴的に、そして対照的にそのすれ違いを表現したセットの階段のシーンなどは印象深かった。愛と恩返しの美しいお話。ストーリーについては(予告編を見れば十分な気もするが)、それ以上に言及するのはよそう。
temperturesに変換する方法
なにしろストーリーやその表現のスタイル、全てを通じて監督から'20年代サイレント映画への敬意と愛情が、たっぷりと表現されていて感動的なのだ。その映画愛の表現が、またいかにもフランス的で、それら全てが単なるノスタルジックで終わってしまわないところが、この映画が愛された理由じゃないだろうか......とか。
軽く魔法がかけられたようなこんな映画は久しぶりに観た。
小田島さんによる音楽家ルドヴィック・ブールスへのインタヴュー記事もあわせてどうぞ。
à lire dans l'avion
『飛行機の中で読むに限る』
ある憂鬱な日曜の夕方のことだったのを覚えている。その日、僕が何気に手に取ったその文芸誌は芥川賞受賞作が掲載された号だったからであった。
受賞の会見(ずいぶん中二ぽい発言)で話題になった田中慎弥 氏の「共喰い」※ ははじめの数行を読んだだけで、結局その先読み進めることはなかったのだけど、円城 塔 氏の「道化師の蝶」※にはぐいぐいと引き込まれた。
何よりリズミカルな前書きがよかったのだろう。
<以下抜粋>
何よりもまず、名前があ行ではじまる人々に。
それからか行で、さ行で以下同文。
そしてまた、名前が母音ではじまる人々に。
それからbで、cで以下同文。
諸々の規則によって仮に生じる、様々な区分へ順々に。
網の交点が一体誰を指し示すのか、わたしに指定する術はもうないのだが、
こうする以外にどんな方法があるというのだろうか。
<抜粋終わり>
「何事も書き出し〜」とは、このBLOGの冒頭でも書いた通り。
そして本文は「旅の間にしか読めない本があるとよい。」と続くわけであるが、その一章を読み終えて、僕はこれは実際に「旅の間」に読むべき作品だろうとページを閉じた。
確かに僕は長いフライトの間に、もうそこで見られる映画のほとんどには興味がわかなくなってしまったわけだし、こういう本を片手に過ごす方が快適だろうと思ったのだった。
というのも、その第一章で語られるエピソードに、飛行の間に読む本は、飛行の速度のせいで、文字が紙面にわずかに遅れて目に入ってくるから、頭に入らないというくだりがあり、その一方で『飛行機の中で読むに限る』という著作も紹介される。奇想天外に転がりはじめたそのストーリーを読み進めるのをストップするのは困難だったのだが、その続きはパリに向かう飛行機の中で読みはじめて、ちゃんとその旅の間に読み終えた。
素晴らしいイマジネーションの世界が、端正な言葉で縫い合わされて、つじつまがあっていく。
誇大妄想のメタフィクション。
昨年の朝吹さんの『きことわ』※ 以降、ちゃんと日本の文学作品なんて読んでなかったのだから、こんなことを言うもんではないが、これまた素晴らしく面白い作品で、なんだ日本の現代文学って面白いんじゃないかなんて思ったりしたほどだ。え、まさか芥川賞ばかり気にして読んでるの?って言われても仕方ないのだけど。
小説における言語の重要さもほんわりと示唆しているかのようでもある。
とにかく、この面白い妄想は、ずばり『飛行機の中で読むに限る』と思ったので......。
Gauche / Droite
(柄にもなく政治の話の続き)
フランスの友人と話していると、政治が日常的に話題に上ることが少なくない。
そして決まって「君は右か左か...」みたいな言葉が出てくる。
「日本のこと?」果たして日本の主要な二大政党に明確に右とか左とか、政策に大きな差異なんてあるのだろうか。ぼんやり過ごしていると誰が何党に属する政治家先生かさえ分からない。そんな説明をフランス語なり英語でするのはもうお手上げで、とりあえず反射的に「フランスでは左派」と答える。
(もちろんアートやカルチャーにおいては絶対的にフレンチ極右的思想の持ち主であるのに変わりないのだが...)
僕の安直な認識では、この時に言う左派、イコール、民族主義やナショナリズムに傾く右派とは逆の方向、つまりは国境にとらわれず、よりグローバルな指向というものだった。あるいは資本主義に信頼を置く右派とは逆に、社会主義/共産主義に傾いた社会をやんわりと思いつつ。
ここで疑問なのが、その左派の考えを広げていくと、それはグローバリズム容認、世界のフラット化推進の指向なんじゃないかとさえ思えるのだ。ローカルな要素を切り去って、便利(そう)で幸福(そう)な社会へと変わって行く指向(それは僕の望む方向じゃない)。
そして、それは同時に世界規模のグローバリズム資本主義への信奉、つまり右派の指向につながるんじゃないのか?
こんな自己矛盾に陥ってしまったのである。
結局、右に向かおうが左に向かおうが、世界は同じ目的地へと進んでいくのか?
それともそれはまたちがって、上とか下とか、別のベクトルの話なのだろうか?
奇しくも5月1日、サルコジに先導されトロカデロ広場に集まった「LA FRANCE FORTE(強きフランス)」を掲げた党員たち。美しき青/白/赤のトリコロールに彩られた国旗をはためかせて集ったその様に、グルスキーの巨大写真のような美しさと同時に、何か空恐ろしさを感じないではいられなかったのは自分だけではないはずだ。
まるで軽いファシズム?
そうしたら、先日の極右のル・ペン候補が史上最多の18%を獲得したとか、ナショナリズムが高まっている片鱗に目に付く。(日本では尖閣諸島のはなしなどはその片鱗か?)
パリでは街角にはそんなムードに過敏に反応してか、アンチ・ファシズムのメッセージさえ見られる(ANTIFA=ANTI-FASCISM)。
正直なところ、国境なんていらない=WE ARE THE ONE、というのもやはりまだなんか違うし(ユーロ連合でさえ十分にその難しさは証明されている)、かといってナショナリズムの旗が振られているような国家も気味が悪い。
ああ、まさか自分がイデオロギーと国家のことをまじめに考えるなんて思いもしなかった......。
この左右の指向性とグローバリズムとかについては、ぜひ高城さん、小沢さん(無罪の小沢さんじゃないですよ)あたりのはなしを聞いてみたいところ。
どちらにしても一国の代表を自らの一票で直接選べるというのは、幸運だと思う。
ええ、そうでした。
ここまでだらだらと書いたものの、僕にはフランス大統領選の投票権はないのであった。
日曜日、5月6日はただただ祈るのみ......。
そんななか、またツイッター経由でこんなリンクが送られてきた。
「あなたはフランス国籍を取得出来ますか?」
極右フレンチへの挑戦! よろしければどうぞ。
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